この記事は、私が約10年以上前に経験した高速道路開発に伴う立ち退きの体験談です。
数年前から立ち退きになることは知っていましたが、実際にその時を迎えた時の戸惑いや、手続きの中で経験した驚き、そして家族との絆についてお話ししたいと思います。
当時の記憶に基づくものであり、具体的な日付や金額の詳細は曖昧な部分もありますが、立ち退きに直面した時の心境や、そこから得られた教訓をお伝えできれば幸いです。
【重要】 本記事は筆者の過去の体験談であり、現在の法制度、補償基準、個別の状況とは異なる可能性があります。あくまで参考情報としてお読みいただき、最新の情報や具体的なご相談は専門家にご確認ください。
立ち退きを告げられた日:漠然とした不安と現実味
- 数年前から立ち退きになることは知っていたものの、いざ首都高速(株)の方が説明に来た時の、現実味を帯びた不安について。
- 説明に来た若い男女2人の担当者の印象。(丁寧に説明してくれたことを覚えています。)
- 「現状の家の状態で家を建てた場合を想定して金額が決まる」という説明を受けた時の、補償への漠然としたイメージ。
査定の驚きと補償項目への戸惑い
査定に来た際に「各部屋の電源コンセントの数まで聞かれた」時の「そこまで見るの!?」という驚きと、少しの笑い。
「立ち退きに関する項目がこんなにたくさんあるのか」と、その複雑さに驚いた。
立ち退き料の支払い:記憶に残る「6:4の2回払い」
提示された金額が「6:4の割合で2回に分かれて振り込まれた」という具体的な記憶があります。
「無事に引っ越しが完了したことを確認できてから2回目の金額が振り込まれた」という事実。
その支払い方法についてどう感じたか?(「そういうものだと思った」「特に疑問は持たなかった」です。
財産分与という思わぬ壁:家族の真実と「お金」が変える人間関係
最も大変だったと記憶している「財産分与」のプロセスについて。
この時初めて、父の前妻との間に子供がいること、つまり「イボ兄弟」がいることを知った時は衝撃でした。
勿論、彼らも財産分与の対象になったこと。
この手続きのために「司法書士事務所に何度も足を運んだ」ときは、その大変さに苦労しました。
義理の姉の旦那に財産分与の話を伝えに行った際、「お金に関する事となると、人が変わるんだな」と人間関係の複雑さ、お金の持つ影響力を痛感した。
近所のおばちゃんの温かい言葉と母の笑顔:新しい生活への希望

近所のおばちゃんの「若い人は順応性があるけど、年を取ってから知らない所へ引っ越すのは寂しいものよ…」という言葉が、どれほど心に刺さったか。
その言葉が、母の新しい住まい探しに影響を与えたこと(坂道を歩かなくても良い、駅の近くという条件を重視した理由)。
偶然にも「近所のマンションに引っ越すことができた」という幸運。
引っ越し後も、そのおばちゃんのところに母を何度も連れて行った時の「母の忘れられない笑顔」。そりゃそうですよね?40数年も近所付き合いしてたんですから・・・。
現在、母は他界していますが、結局「自分が年を取った時にこの場所(坂がない・駅近く)で良かったとつくづく思います」長期的な視点での満足感がありますね。
あの時、あのおばちゃんとの会話が無かったら・・・。と思うと、悲しい気持ちになりますね・・・。

私の立ち退き経験が教えてくれたこと
立ち退きは単なる引っ越しではなく、人生の大きな転換点であること。
手続きの複雑さや、人間関係の難しさも経験したが、それ以上に家族の絆や、人の温かさを感じることができた。
古い経験ではあるが、もし今、立ち退きに直面している方がいれば、以下の点を伝えたい。
- 情報収集は早めに、そして正確に。 曖昧な点は必ず確認を。
- 専門家(弁護士、行政書士など)への相談をためらわないこと。特に複雑な事情がある場合は必須。
- 感情的なサポートも大切に。家族や友人、信頼できる人に話を聞いてもらうこと。
- そして、「未来を見据えること」。大変な中でも、新しい生活への希望を持つことの大切さ。
【再度強調】 立ち退きは個別の状況によって大きく異なります。最新かつ正確な情報、そしてあなた様の状況に合わせたアドバイスを得るためには、必ず専門家にご相談ください。