1981年、オーディション番組「スター誕生!」で圧倒的な歌唱力を見せつけた中森明菜。16歳という若さでデビューし、瞬く間に歌謡界のトップスターに駆け上がりました。そんな彼女のデビュー秘話と、波乱万丈な人生を、初代音楽ディレクターであり“生みの親”と言われる島田雄三氏が独占告白します。
天才歌姫誕生「彼女の歌で背筋に電流が走るのを感じた」
島田氏にとって、明菜との出会いは衝撃的なものだったといいます。
初対面の時は何を聞いても喋れないような子だったけど、歌を通して聴く者に何かを伝えようと訴える力や歌唱力は卓越していた。
特に印象に残っているのが、2枚目のシングル「少女A」のレコーディングです。
明菜は当初「嫌だ」と拒絶していましたが、僕が「全然面白くないよ」と煽ると、スイッチが入ったように歌い始めたんです。まるで頭頂部から炎が飛び出ているようでした。その感情が歌に乗った『少女A』で、初めて彼女の歌で背筋に電流が走るのを感じましたね。
華麗なる栄光と裏側の闇
1985年には「ミ・アモーレ」、1986年には「DESIRE」で2年連続日本レコード大賞を受賞し、歌謡界の頂点に立った明菜。しかし、その華麗なる栄光の裏には、様々な困難が待ち受けていました。
金銭問題や事務所とのトラブルなど、幾度となくスキャンダルが報じられました。2010年には帯状疱疹を患い、芸能活動の無期限停止を発表しました。(前出・芸能記者)
2度目の沈黙、そして待望の復活劇
2014年、NHK紅白歌合戦に電撃出演を果たし、ファンを歓喜させた明菜。しかし、2017年末のディナーショーを最後に再び表舞台から遠ざかってしまいます。
会場は明菜さんの熱心なファンばかりで温かい雰囲気でした。紅白以来、2年ぶりに公の場に立った彼女は最初こそ緊張していましたが、ジョークを交えたトークで観客を沸かせました。ステージではしっかり高音も出ていたから“もう大丈夫だ”と安心していただけに、1年後に彼女がまたセミリタイアすることは意外で、とても残念でした。(アイドル評論家・中森明夫氏)
家族との断絶、そして空白の7年間
その後、明菜は療養のため海外を訪問しているという噂も飛び交い、家族との連絡も絶ってしまいます。
報じられるのは個人マネージャーとの恋仲や別離で、2019年に妹が亡くなった時も葬儀には来ませんでした。(前出・芸能記者)
しかし、そんな中でも「明菜待望論」は根強く残っていました。
僕が聞くところでは、空白期間もNHKは毎年のように紅白出演を打診していたそうです。他にも各局がドキュメンタリーなどのアプローチをしましたが、実現には至らなかった。(前出・芸能記者)
待望の復活へ!36年絶縁の実兄がエール
沈黙を続けてきた明菜ですが、ついに動き出しそうな兆候が見え始めています。
7月にはファンクラブ会員限定のイベントが開催されることが決定。関係者によると、ファンクラブ会員以外への活動再開も視野に入れているといいます。(スポーツニッポン)
そんな中、明菜と36年間絶縁状態にあった実兄が、初めて公の場で心境を語りました。
妹は強い意志を持った女性です。どんな困難も乗り越えて、必ず復活してくれると信じています。いまこそ伝えたいことが山ほどあるはず。心からエールを送ります。
天才歌姫の新たな旅立ち
波乱万丈な人生を歩んできた中森明菜。今度こそ、真の復活を遂げてくれるのでしょうか?