【薬丸裕英の朝への挑戦】40年以上もの間、芸能界の最前線で活躍し続ける薬丸裕英(58)。彼はTBSの「はなまるマーケット」からテレビ東京の「なないろ日和!」へと舞台を移し、驚異的な28年間にわたり朝の情報番組のMCを務めてきました。「自分の顔は朝向きではない」という彼が、なぜこれほどまでに起用され、主婦層から支持を受けているのでしょうか。
薬丸裕英”干された経験”から躍進!本当はトレンディードラマに出たかった
薬丸裕英の魅力は、彼の一貫性と家族への愛情にあります。彼の外見やスタイルは30年以上変わっておらず、「薬丸流」とは変わらないことを意味します。しかし、彼のキャリアは常に順調だったわけではありません。若い頃にアイドルグループが解散し、子持ちのアイドルとなり、仕事が減少しました。
順風満帆な芸能人生だったわけではない。リーダーを務めた3人組アイドル「シブがき隊」が22歳の時に解散。24歳で結婚し、すぐに長男が誕生。子供のいるアイドルを意味する「パパドル」と呼ばれた。「若気の至りですけど、パパドルと呼ばれるのがイヤで。本当はトレンディードラマとか出たいのに、来るのは子供や夫婦に関する仕事の話ばかり」。オファーを断っていたら、仕事がなくなった。
しかし、彼は自分の意識を変え、家庭の話をするようになりました。これが彼のテレビキャリアの再生につながり、「はなまる」の成功につながりました。彼は家事が好きで、節約も得意です。彼のリアルな言葉は視聴者の共感を得て、彼は今もテレビで活躍しています。
彼は現在、「ジジドル」として、孫が誕生したことを喜んでいます。彼の妻は元アイドルの石川秀美さんで、彼女も孫に夢中です。彼は今年、新しい番組「薬丸マネー塾」を開始し、人生100年時代に向けての準備をしています。彼の原動力は家族で、これからもその思いを視聴者に伝え続けるでしょう。彼の番組「薬丸マネー塾」は、お金に好かれる生き方を学ぶための番組で、彼はここで学んだことを子供たちにもアドバイスしたいと考えています。
薬丸裕英のアイドル時代
◇薬丸 裕英(やくまる・ひろひで)
薬丸裕英さんは、1981年にドラマ『2年B組仙八先生』でデビューしました。その翌年、同じドラマで共演した本木雅弘さんと布川敏和さんと共に、ジャニーズ事務所のアイドルグループ「シブがき隊」を結成しました。シブがき隊は1982年に「NAI・NAI 16」で歌手デビューを果たし、1988年までの約7年間活動しました。
シブがき隊のメンバーそれぞれにはイメージカラーが設定されており、薬丸さんの色はブルーでした。また、本木さんは「薬丸はリーダータイプだった」と述べています。
シブがき隊解散後も、薬丸さんはジャニーズ事務所に残り、ソロタレントとして活動を続けました。その後、彼は多くのテレビ番組やドラマに出演し、幅広い活動を展開しています。現在もタレント、司会者として活躍しており、その一貫性とプロフェッショナリズムが評価されています。また、彼は家族を大切にする姿勢でも知られています。これらの経験と人間性が、薬丸裕英さんの魅力を形成しています。